威嚇

躁の時に書いてる

見栄

新宿三丁目駅のホームで電車が来るのをベンチに座って待っていると、隣にトコトコと5歳位の女の子が座ってきた。水色のふわりとしたシルエットのワンピースを着て、足首の竹の白い靴下を履き、足の甲をパチンと留めるタイプの黒いメリージェーンを履いていた。

彼女は膝同士を擦り合わせてもじもじと落ち着かない様子で、目はキョロキョロと周りを見ていた。視界の端に見当たらなかったので、親御さんはどこだろう、となんとなく顔を上げた。3メートルほど前、電車の出入り口付近に並んでいるきれいな女性がその子のお母さんだった。背が高く二の腕が長かった。最近私は詳しくないが、モデルだったのかもしれない。美しい容姿のその女性は、エルメスのHのマークのベルトを巻き、グレーのハイウェストスラックスに黒のノースリーブのトップスを着て、肩にはアンテプリマやセリーヌの小さいバッグを複数斜めがけして、紺色のお稽古バッグを持っていた。

電車が来る少し前、女の子は「お腹がいたい」と言った。お母さんは「今そういうこと言わないで!ほら乗るよ!」とキリキリ怒っていた。お母さんも追い詰められてるんだと思うんだけど、そういうことをすると私のような子供に育ってしまうので、優しくしてあげてほしいなぁ。車やタクシーやバスではなく、電車に乗って移動しなければいけないうちは、そんなにハイブランドに手を出さなくていいと思います。それってちょっとなんか変よ。本当になんか変なことが目につく。髪の毛も解かさず、スタイリングなどではなく本当にただダラダラとパジャマのような格好をしてカバンだけ何百万円、という人を最近見る。お金の使い方は人の勝手だ、というのと成金みたいなことをするのは見苦しいから視界に出てこないでほしい、とを交互に思います。困ります。私、いつも自分の頭の中で討論が始まっちゃってまぁそれぞれの考え方も一理ありますよねみたいな仲介者まで出てきて、ぐちゃぐちゃになって終了する。

帰宅するたびにシャワーを浴びなければいけない。脅迫観念じみた体のべとべとに対する嫌悪感をどうにかしたい。今日は朝と、時間をおいて午後に出かける前にもシャワーを浴びた。すでに今日は2回シャワーを浴びていたので、もう一度入る必要は流石にないかなと思いメイクを洗面台で落とし始めた。でも、メイクを落とし終わって顔を含めて全身に使えるクリームをくるくると塗り始めて、首に差し掛かったときに嫌なべとべとを感じてしまった。もう無理だとバッと全部脱いでシャワーを浴びた。強迫観念じみている。明日の朝もシャワーを浴びる。

TikTokを開いたら、私と同じ原因で太った女の子の動画が流れてきた。精神を向上させるために、いろんなものが犠牲になった。月経困難症をどうにかマネジメントするためのヤーズフレックスを処方してもらう前に血液検査を受けた。ずんずん無職を進めており、本来なら会社の健康診断でカバーされる範囲のことを私はずっとやってなかったから、婦人科の先生に血液検査しておきましょうと言われた。中性脂肪だけ引っかかった。たくさんおいしいものを食べているから、たくさんおいしいものを食べること以外になかなか自分をいじめる方法が今手札にないから。最初の少しはいいんだけど、食事を進めながらなんでこんなに苦しいのに食べ続けてるんだろうと思う時がある。見栄で食事をしている。困ったことに1人の時もその見栄が取れない。見栄、こんなふうに自分を他人に見せたいかたちが頭の中に討論会が設置されているせいで、見栄をはりたい自分以外の人がいるせいで、見栄をはりたい自分が頑張ってしまう感覚がある。多重人格とかそういうことではなくて、常に複数の意見を走らせ続けている。弟が生まれつきの病気で一歳まで退院できず、その後途方もない偏食で彼は食事を残し続けた。チョコとお肉と白い米しか食べなかった。週6日は母親以外の人が食事を作ってくれていた。代わる代わる家に来てはわざわざ作ってくれたものを残すのは私は嫌だった。おかわりをして、にこにこしてほしかった。それらを全部私が食べては褒められたり、コミニケーションの一部になっていたのが、多分まだ抜けていない。食卓に何か残っていると洗いざらい食べないといけない気がする。急いで食べてしまう。食べて、誰かに褒められるのを待っている。見栄。