威嚇

文章を書く練習

2020年5月4日の下書き

「誰にも言わないで」を多用する状況とパーソナリティとは??自宅勤務作業中ずっと音楽流してるんだけど、JPOPって好きだよねこのセリフ。

 

ありふれた言葉になんで私は引っかかったんだろうと考える。おそらく私の語彙にこれがない。聴き慣れない。このセリフを多分最後に言ったの小学生だと思う。小学生女子の、好きな人言い合うあの謎の連帯づくり。その時に「佐川くんだよ、秘密ね。誰にも言わないで」が最後だと思う。言った後に随分と後悔した。それから多分、言ってない。

 

 

誰にも言わないでほしいなら最初から誰にも言わない以外ない。「秘密ね」のラベルはビニールハウスのようなものだ。透けて見えるこの家の中に、なにやら美味しいものがありますよ。温められてすくすくと育っています。美味しそうに見えますね。取り出したら、美味しいんじゃないですか?

 

特に仲の良いわけじゃない人に、特に重大でもないことについて「誰にも言わないで」と言われると、頭の中で「ショートコント!茶番」とカチンコが鳴る。

 

人の秘密を流布するような趣味もないので人様に秘密を言ってもらえることはあるが、自分が言う事は多分ないだろう。なんだろう?巨額の借金を知られたときとか?ないけど。せっかく人にいただいた信頼を自分からぶん投げる趣味はない。あと単純に言う相手がいない。ありがたいことに友達は少ないわけじゃないが、それぞれ私と仲がいいのに、それぞれはあんまり相性が良くない。なんで?私がハブ空港みたいになってる。相互乗り入れ。だから言うことはない。

 

 

佐川くんについて思い出したので書く。

 

佐川君は、ひょろっと背の高い男の子だった。小学校6年生で声変わりもしていたし身長も170近くあった。私はそうは思わないけど友達曰く爬虫類顔で、絵で表すなら、瞳を白抜きで描くような目つきだった。本物の爬虫類は苦手なんだけど。黒目が小さくて鼻と顎が尖った男に惹かれるのは佐川くんのせいだと思う。眼鏡をかけていた。一人っ子だった。ランドセルが折れて潰れていなかった。いつもポロシャツか襟のついたシャツを着ていて、デニムを履かず、チノパンばかり履いていたように記憶している。小学生がよく着ている変なロゴや謎の柄のものは全く着ていなかった。お母様お父様最高です、ありがとうございます。

特に人をからかいもせず大人びた顔の子供だった。給食を食べ終わるとすぐに理科の図鑑を取り出してニコニコ読んでいるところに惚れた。

 

佐川くんは、彼と同じようにすらっと背が高くて、おさげ髪が可愛らしく、ナルミヤブランドの黄色とオレンジのトップスをよく着てる控えめな性格な女の子のことが好きだった。佐川くんは彼女のことをよく見ていた。私は彼女のことも好きだったので、2人がいるところを見ると悲しいのと素敵だなと思うのとで大変だった。

 

私は小学生の時は輪をかけて気が強く、腕っ節も強く、手が速く、非常に暴力的で、かつ口も立つ子供だった。今よりも多分頭は良かったし、暴力は別として人格は寛容で優しかったと思うが、とにかく自分のことが嫌いだった。

私との共通項は身長が高いことくらいで、後はすべて正反対のその女の子が好きな佐川君は、より一層私の中の価値を高めた。見る目あるじゃん。

 

佐川君の親友は、私の姉の親友の弟だった。だからなんだかんだその経路で佐川くんの進路を知った。中高一貫の男子校に進み、天文部に入ったと聞いた。私は理科の中で唯一天体のジャンルとは仲良くできなかったので、自分にできないところをピンポイントで刺してくる佐川くんは本当にずるい。

 

そのあと同じ大学に進んだことを大学のキャンパス内ですれ違って知った。服の趣味も顔も身長もほとんど小学6年生から変わっていなかったので一瞬で分かった。私は小学校卒業後10kg増えた後に30kg痩せていたので気付かれなかった。肥満児だった、12歳で70kg近くあった。

 

小学生の男の子は肥満児についてそれが存在するだけでほぼ100%からかうものだが、彼は目の前の人間が太っていようがなんだろうが特に気にしていないように見えた。同性の友人や、年上の友人とそうするように普通に話せた。塾がどうとか、テニプリ面白かったねとか。(前述の彼の親友が跡部、彼が樺地の役でよくごっこ遊びをしていた。ウス、っていうだけ。)本心でどう思っているにせよ、どう思っているのかを見せない選択肢があるかもしれないところも好きだった。聡い子だった。

 

佐川くんのことを好きになり、改めて自分の大きく膨らんだ体が嫌になってしまって小学6年生のプールの授業はすべて休んだ。第二次性徴は3年生から始まっていたから、もし血や毛を見られたらどうしようとも思いそもそも休みがちだった。6年生の時の担任は女性だったので、すでに生理が始まっていた私に対して強く糾弾することはなかった。「成績がつけられないからこれだけは出なさい」と説得され、着衣水泳の回だけ出た。先生ありがとう。

 

 

佐川君とはその後、小学校の同窓会at塚田農場(宮益坂店)にて正式に再会した。見た目はまぁ当たり前にめちゃくちゃ変わっていたので気付かれなかったが、声で思い出してもらえた。「やたら席替え一緒になることが多かったよね」とか、「遠足の班一緒だったよね」などと話した。うん、色々してたからね。

なんとなく男女共用のトイレに入りたくなくて、女性用が開くのを待っていたら佐川くんが来た。「真ん中空いてるよ」「うん、こっち(女性用)待ってる。先入ってどうぞ」「なんか可愛いね、ありがとう」とさらっと褒められる男になっていた。男女共用トイレ入らないことを可愛いと表現するお前、おうおういいじゃん、良い仕上がりじゃん。その時彼氏がいたのでニマニマするだけだったがあれはイケた。その後、彼は北京大学に留学した。今では中国語でも可愛いと言えるのだろう、どこまでも好きだわ。はー!アイドル!Facebookは繋がってるけど、今はどこで何してるのか知らない。SNSを滅多に更新しないところも好き。元気でいてほしい。肥満児の恋心をからかわなかった男の子。私の心を守ってくれてありがとう。

 

 

 

 

中学高校は女子校だったので、1回も男性とお付き合いもすることなく、好きな人ができることもなく(高校3年生の時は一瞬いたけれども、同じクラスにいたりなどの接触回数が高いわけではなかったので、こういう形で人を好きになったりやきもきする事は終ぞなかった。)

しっかりとオタクになり、腐女子になり、学校に行ったり行かなかったりし、体重が30キロ増減し、ビジュアル系バンドを追いかけ、勉強を最低限やり、そうこうしていたら19歳の時に初めてきちんとお付き合いなるものをした。

 

 

初めて付き合った男の子の存在を、幼馴染に半年くらい言わなかったらめちゃくちゃ怒られた。「私友達でしょ?なんですぐ言わないわけ。」そういうことはすぐ連絡するものらしい。彼氏ができたら、次の日には報告電話とやらを入れるべきらしい。今思い出すと仕事かよと突っ込みたくなる。いや初めてだと本当にこれが世に言うお付き合いなのかもよくわからず、向こうが私を騙してるんじゃないかとも思いつつ、人に喋るのも気恥ずかしいし、まぁいいか特にそんな重要なことでもないだろうと思っていた。

別にそんなに怒らなくても。聞かれなかったから言わなかっただけなんだけど。私の中興の親友はみんな私と似たようなスタンスなので、初めて指摘を受けて、おお、と驚いた。(「中高」の予測変換誤りだけれど、中高の親友たちは私の心の「中興の祖」であるのでそのままとする。)

 

だってホントウはふたりしか知らないのに。他人が知ってどうこうなるんか?これあゆが言ってましたんでガチです。

 

私は「ホントウはふたりしか知らない」派閥の過激派なので、現在進行形の恋愛の事は出そうとあんまり思わない。発想にない。

 

その結果こういう風に今のことをあんまり言えずに、過去のことをつらつらと書き続ける。当時どういう風に感じていたかできるだけ記憶の改竄がないように頑張りたい。今思い出せる全てが全てだとも言えるのでなんとも難しいところだ。

 

次に人を好きになる時は、その時々で感じたことを書くようにしよう。記憶の改竄をしないで済むように。