威嚇

文章を書く練習

3分

多少良くなってきた(社会性のある社会的な生活に適合しつつある)と思っていたらこの4日間ほど夕方にならないとベッドから起き上がれなくなった。Inbodyでは、全く筋トレをしていなかった4年前と比較して上半身の筋肉量が伸びたまま維持できており、対して下半身が悲しいことになっていた。数値で見ると安心する、自分の考えだけでなく客観性を持って「君は今やばいですよ。具体的にはBMIが規定値に差し迫りますよ」と教えてくれる。そうすると漠然としていた悩みは解きほぐされ、課題や問題と呼べる物になるl。課題であればその解き方がある。解く、は「ほどく」とも読める。良い大和言葉だ。

携帯の画面を見すぎて肩が凝る。テクノロジーはどんどん難しくなり、それを扱える人間の数を少なくしている。私はこの板がなぜどうやって動いているのか見当もつかない。享受するだけだ。選挙で投票に赴かない人はどうやって政治が動いてるのか・生活に直結しているのか見当もつかないから行かないのではないか。同じ構造なのではないか。

江戸時代が長く続いたのは、士農工商エと人間の位置と知性の種類を固定して階級の移動を許さなかったからかとそぞら思う。エタヒニンについて語りえる知識がないのでわからないが。知性の種類はある。農民に向いているなとしみじみ思う勤勉で毎日同じ行為を繰り返せる人もいるし、商人としてさまざまな事柄を同時並行で処理しつつ自分の利益を確定させられる人もいる。武士はその誇りで死ねるかどうかがその判断になる。

統治する側とされる側は明らかに存在していると投票率の低さを見て思う。小中での教育が少ないのもあるけど、勝間和代氏がよくいう「時間割引率」なんかを標準装備している人なら与党野党どちらの支持だとしても投票には行くだろう。後々の自分の生活を左右する。民主主義は、位置と知性の種類を固定されることに慣れているこの土地の人々にはいつまでも馴染まないんじゃないかと思う。