威嚇

文章を書く練習

20220410の下書き

仕事を辞める前、体に異変が出ていた頃の記録が残っていたので保存しておく。

 

 

1月1日付で異動した。思い返せばパンデミックで丸2年間塩漬けだったものの4年間同じところにいた。弊社当職種にしてはだいぶ長いので、まぁ異動自体は妥当だった。異動先が問題だった。首都圏支店から外に出された。支店を超えた異動は全体の10%ほど、珍しいことだ。散々嫌がったがサラリーマンなので仕方ない、転職をする時間もない、どうせ引っ越し費用や敷金等は会社持ちなのでとりあえず向かった。

異動先は元々の数字が好調なので、特段の苦労はなかった。維持すればよかった。おじさんから若い派手な女に替わると向こうの大丈夫なの?という目つきを浴びるのもいつものことだ。大丈夫です。納得してもらうまでに3ヶ月かかるのもいつものこと、誰がやってもある程度務まるから仕事なのだ。使命ではない。代替可能なものに心を費やす必要はない。

 

仕事自体ももちろんだが、それ以上に引っ越してほぼ友人と話さないようになったことが精神へ思っていたより負荷をかけていた。3ヶ月間生理が来なかったししかも来ていないことに気付いていなかった。気付いていなかったのがこわい。2月には原因不明の酷い皮膚炎になり、竈門炭治郎を鎖骨から上すべてに宿す女になった。皮膚科を3件回ったけどお気持ち程度の処方しかしてもらえず微動だにしなかったので、身内に診療、処方してもらいプレドニゾロン30mgバン!と内服しやっと軽快した。耳から始まり、顔や鎖骨上すべてにシンメトリーに広がっていた。結局何だったのかあれは。蕁麻疹なのかと思っていたが、蕁麻疹というものは現れたり消えたりするものだから固定してずっと現れているのは違うらしい。さらに、ある朝目の激痛で目覚めた。見えない視界でタクシーを呼び、やっと眼科にたどり着いたら「ドライアイの上に瞼を閉じないで寝たんじゃない?」とのことだった。眼科で山ほど点眼薬を貰った。元々の持病もコントロール不良だった。体の不調が重なりすぎて心療内科の待合室で泣いて「休職できるように今診断書書こうか?」と優しい先生に言わせてしまった。健康診断でピロリ菌が見つかり、他にもいろいろ引っかかりD判定をくらった。上司の40代おじさんに「僕もですよ」って慰め?られたけど、私の年齢だと意味が違いますとやんわりキレた。キレることはなかったかも、ごめん上司。